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2013年11月24日 (日)

観光列車三本立て。

翌日はバスで一路熊本へ。
生憎晴天とはなりませんでしたが、陸路から海をのぞみつつ移動。
熊本駅では至る所?でくまモンのお出迎えが。
さすがは地元。

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待合室にもくまモン。グッズの揃えも半端ではなかったです。

ここから再び列車旅。
この日は短い距離を三本の観光列車で乗り継ぎました(^^)。
本当に乗客たちが楽しそうなのが印象的でした。
いわば鉄道好きの貸切列車が続くわけですから。
大いに雰囲気を楽しませていただきました。

熊本~人吉間:「九州横断特急」を利用。
球磨川に沿って走る美しい景勝ルートでした。

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少し明るめの赤の車体。

人吉~吉松間:「いさぶろう」利用 (便によっては「しんぺい」号となります。)
ここが本日のハイライト。
肥薩線をスイッチバックで上り、霧島の山々を眺められるルートです。
車両は渋みを増した赤で、中はさらに渋めの木調でした。
列車ごとに違う内装が楽しいです。

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ここからちょっと真面目な、もしくは私的なお話です。

吉松からまもなくのトンネルで
終戦直後に復員兵が大勢亡くなる事故があったのですが、
家人は当時吉松駅で列車を待っていた少年兵の一人でした。
危うく難を逃れ、8月の暑いさなかに徒歩で山越えをしたそうです。
当時鹿児島にいた家人ですので
このあたりから饒舌になっていきましたが、
結構年配者の多かった乗客でも皆「若くて」、知る人は少なく、
また地元の人にも知られていないんだな~と言っておりました。
70代ではすでに戦中の記憶はなく、
80~90代の記憶にあるだけとなっているようで、
人の寿命はかくも短いものなのかと実感した次第でした。
そして記憶が失われるのは思っているより
ずっと早いものだということを。
案内チラシの文字で読むとただ「死者56名」とあるだけですが、
当時の列車にどれだけ沢山の人が乗って(またはぶら下がって)いたのか、
実際にどんな様子であったかは伝わってきません。
はからずもいろいろ話を聞くことになりました。

鹿児島市内のタクシーでも話をしていましたが、
運転手さんは若いとはいえ(6~70代?)身内から話を聞いていて、
さすがに戦時中の様子など結構ご存じでした。
特攻隊が出撃していったのはもちろん知覧からだけではなく、
たまたまそこに有名なおばあちゃんがいたから
名前が知られただけだ~と家人が地元の方と話をしているのを聞いて
そーだったのか~と思ったのんき者の私でございました。
記憶の伝承はかくも難しいものですが、
ひりひりとするほどに大事なことなのだとこの年になって思いました。

お話を車窓に戻しまして、
ループをスイッチバックで上がり、矢岳駅まで登ると
デゴイチ(D51-170)君がお出迎えしてくださいます。
やがて霧島連山など九州山脈が一望できるポイントにやってきます。

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さらに進むと幸せを呼ぶという「真幸」駅に着きます。
ここでは駅の人たちが大きな手袋をはめて
手を振ってお迎えお見送りをしてくださいます。
産直市?などもあり、お客さんは大喜び。


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吉松~鹿児島中央:「はやとの風」利用

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外はシック、中はあかるい車両でした。
以前霧島方面への観光バスを利用したときに
一瞬乗せていただいたことがありましたが、
きちんと乗車するのは初めてでした。
乗客が皆、子供のように
なんの警戒感もなく楽しんでいる様子が
なんともなごみました。
ここからは町が近づいてきたなという雰囲気になってきまして、
ゆっくり下車できるのは嘉例川駅くらいでした。
ここでは美味しいお弁当が買えるようで、
遅い時間になりましたが一つ購入したお握りが大変美味でした。
ちゃんと新米を炊いてしっかりと握ったお握りでした。

途中に桜島を見ながら鹿児島着。
この日はほとんど噴煙を上げていなかったようでした。

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