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2012年3月11日 (日)

震災から一年。

東日本大震災が起きて1年が経ちます。
心はざわつきながらも
表面上はずっと穏やかな西日本に住んでいて、
いつ我が身のこととなるかと思いつつも
切実度は東の方に比べると高くないのだろうなと思い
ただ思いをはせています。
当日、日常ならぬことが起きていると知ったのは仕事中のことで、
最初は
「東京のお台場が燃えて大変なことになっている」という情報しかなく、
全国ネットの会社なので
そちらの対応がこれから大変になるなあと思い
心の奥がざわざわとしてきたことを覚えているのですが、
帰宅してからTVの画像を見て絶句しました
(その情報とてほんの断片が写されただけのものだったのですが)。
日本の半分が日常を大きく揺さぶられ、または失うことになりました。
無力感や、対岸にいるような感覚に良心が痛み、
起きてしまったとんでもない原発事故に絡まって
復興が遅々として進まない現実に苛立ち、
どこに向かってよいのかわからなくなるような一年でした。
まず忘れてはならない、ということ。
様々な悲劇を引き起こす原因となった
全ての「想定外」を無くしてしまわなければならないこと。
出来る限りの手助けを続けていくこと。
当面は(いつも人間はその日を重ねていくしかないのですが)
そんなことを続けていくだけなのかなと思います。

ここしばらくは特に
震災や津波の映像をよくTVで放映されていて、
そこから目を離せないでいます。
そんな中で、
昨日放映された「3月11日のマーラー」という番組が
心の底に沈むように響くように、印象に残りました。
震災当日にすみだトリフォニーホールで行われた
マーラー5番の演奏会が決行された際に録画されたものを
番組にしてありました。
こんな時に演奏会なんて、というような
自責の気持ちを秘かに持ってしまう(でも来てしまった)観客の方もあり、
お客様がいる限り演奏をと願う楽団員、
様々な(あまりにも様々な)要素があいまってか、
まるで音楽の神様が降りたような演奏だったそうです。
「いい演奏をしたことが大事なのではなく、
この時に演奏ができたことが大事なんだ。
音楽が必要とされている時に。」というような(うろ覚えですm(_ _)m)
指揮者の方のコメントが心に残りました。
音楽に救われた人がひとときでもいること、
音楽とはそういうものであると示されたことに、
鳥肌がたつような、
不思議な幸福感を感じました。
(幸福という言葉が適当かどうかわかりませんけど。)

どうか少しでも早く復興が進みますように。
当たり前に幸せな日常が、一日も早く戻ってきますように。

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