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2008年2月11日 (月)

善き人のためのソナタ

一週間限定アンコール上映ということで根性で映画館に出かけてきましたら、
いつになく込み合っていました。
皆さん考えることは同じのようです(^^;)。
通常の公開は終了していますので、
以下、特に隠し文字はなしでいきますm(_ _)m。

冷戦当時の東ドイツの秘密警察シュタージで働く大尉が主人公。
彼ヴィースラーは堅物で真面目なんですが、
まさにこのヴィースラー自身が元々善人なんです。
昇進して権力に取り入りたいと考えている同僚や上司を理解できず、
淡々と国家のために尽くすことを誇りに思い、
正しいと信じて生きてきた男で、
やっている仕事内容が非道でも疑問に思わず、
あまりにも非人間的ではないか?と素直に突っ込みを入れる学生の名前に
×マークを淡々と付けてしまう「人間味のない」男。
ワーカホリックが高じて、
ある脚本家の監視を自分から願い出てしまうのですが、
これが彼の「転機」とも「転落」ともなっていく・・・というお話でした。
意思をコントロールされた優秀な機械から
血の通った人間になっていく、というとそれまでなのですが、
このように人間によって人間が体制の名の下に蹂躙されるとこが
おそらくは東側での現実であったであろうことが
一人ひとりの人間がとてもよく「立った」演技により
自然にじわりと理解できるようでした。
ことにビー玉のような目をしたヴィースラーが
その目をガラス玉から人間の瞳に変えていく過程は
寡黙な演技ながらまことに劇的なもので、
いつのまにか「立つ位置」を変えてしまった彼を
どきどきしながら見ていました。
ほんっとにいい人なので、
ああそこまでして大丈夫なのか~とか、無駄な応援をしていました;;。
最後の最後まで救うと決めた二人のために
見事なまでのいい仕事をしてのけたのに
やはりの結末で、
恋人ドライマンを救おうとしていたクリスタと、
それでも無表情をつくろう彼のために涙してしまいました。

映画を見ながら連想したのは、
やはり『リベリオン』のショーンや『華氏451度』で、
ショーンの出番は一瞬でしたが、
心の変遷はこんなふうだったのかな~などと思って見ておりました。
また立場は違いますが、
瞳の印象が一瞬エミリー・ワトソンに重なりました。
ヴィースラーは火刑にはならず、
郵便屋さんにされただけなので安心しました(爆)。
彼は「立ち位置」が変わったのですが、
彼自身の本質は変わらず、善人のままだったように思います。
善人で、誠実。
脚本家とその恋人の誠実さに惹かれ、人間の尊厳を学び、
そのおかげで昇進は断ち切られたけれど、
彼は彼に成ったのだな、と思いました。
封筒開けと郵便配達の仕事に回されても
彼は彼でした。寡黙で真面目で、ひそかに誇り高い。
その後ろにはかつて×をつけられた学生らしい姿がありました。
最後のヴィースラーの「私の本だ。」の台詞で
とどめに泣かされました(TT)。
報われたというにはあまりにも、でしたが、
時間に浄化された哀しみと共に
静かな感動、というようなものがあったように思います。
おしまいだけ英語の台詞かなと思ったのですが
(勘違いかもしれません;;)
時代が変遷の象徴のように思えました。

かつて平和な日本にてベルリンの壁崩壊のニュースを聞いたときには
本当に、信じられない気持ちがしましたが、
どれだけの命、どれだけのエネルギーが、
このために犠牲になり注がれてきたのかと
改めて感嘆する思いがしました。
また、壁崩壊後の情報開示といい、記録の保存の徹底振りといい、
ドイツらしいといいますか、すごい国だなとも思いました。

ところで、記録は本当に聞いた人の耳にしか残らないものだったんですね。
最後まで、テープかなにかがまわっているものと信じていました(馬鹿)。
人を機械にしないと維持できない体制だったということなのでしょうか。
(怖すぎる・・・。)

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